さや姉を撮影したレスリー・キー氏、母の癌、工場働き、涙の23才来日

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さや姉を撮影した、レスリー・キー氏は、母子家庭に育ち、母が癌におかされ、中学の頃から工場で働いていたといいます。現在最前線で、レディガガなどそうそうたるアーティストを撮影する彼。カメラマンや写真家というだけで、派手な印象を持っていましたが、本当にここまでの道のりは大変なものでした…。ちょっといきさつをまとめてみました。

レスリー・キー氏

 

母子家庭、母の急逝、中学さえ卒業できなかった

1971年に生まれました。(現在 41才くらい) 。父親がおらずシングルマザーで育てられました。しかし、その頼りの母も、レスリー・キーさんが、たった、13才の時に癌で死去してしまいました。なんと、中学さえ卒業できず、(日本では中学までは義務教育なので、そのような状況になった場合、未成年者保護の機関から通う事ができるのではないか?と思うんですが、現在でもシンガポールでの義務教育は、小学校(小学校教育6年間)までとなっています) シンガポールの「アカイ」や「日立」のカセットテープをつくる日系企業の工場で働く事になったのです。

若い人はカセットテープといってもピンとこないと思うんですけど、このようなものですね。

カセットテープ

ここで、日本との強い繋がりが彼にできたそうです。6年間働き、妹の学費を支払い、自分の好きなレコードも買ったそうです。その6年間のつとめている間、周囲は95%が日本人だったため、自然と日本語が身についたそうです。(のちに新宿の日本語学校で更に学んでいます)

日本にいって、ユーミンのコンサートに行きたい

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 その働いていた6年間は、日本の音楽しか聴いていないといいます。そうしてユーミンの大ファンになったそうです。そして、いつか、日本に行って、ユーミンのコンサートに行きたいというのが夢になったといいます。

ユーミン

さらにお金をためて(13才時から計10年間)、ついに日本に来日しました。そのとき、23才になっていました。母の癌による死亡から10年。普通の子なら、学校に行きながら適当に遊んでいたこの頃を、ずっと工場で働いていたんですよね。

 しかし、その後も苦労は続きます。何かを学ぶにはお金が必要ですよね。彼は、新宿や池袋、中野あたりで、皿洗い、掃除、などのアルバイトで費用をため、東京ビジュアルアーツ写真専門学校に入りました。

専門学校の費用は一体いくらだったのだろうか?調べてみました。1年次の学費が140万程度。専門学校ならこのくらいはするでしょうね。2年次も同様に140万程度は、必要ですね。これを全部アルバイトで貯めてたんですね。学費の他に、衣食住の費用もあるから、それは大変だったでしょうね…涙。
参考(http://www.tva.ac.jp/school/bosyu/expenses.html)

 とにかく、そこから、写真の道が開いた、レスリー・キーさん。現在の活躍は、きっと長年の苦労があったからこそだと思います。彼の作品にある力、それは一夜にしてできたものではないという事が感じらますよね。

チャリティー活動にも熱心なレスリー・キーさん。これからも活躍を心から期待したいです。シンガポールの英雄となって欲しいですね。

参考サイト( http://www.webdice.jp/dice/detail/3801/)
こちらがご本人の公式サイトです(http://www.lesliekeesuper.com/)

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